2013年10月3日

一甲子(60年)という時を越えた空の伝奇 嘉義國家廣播文物館

※台北日和の記事は遡及調査をしていないので、現状と異なることがあります。
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建物の外観

建物の外観

民雄放送局の電波発信範囲図

民雄放送局の電波発信範囲図

保存状態の良い古い送信機

保存状態の良い古い送信機

歴史資料-アナウンスを行う蒋介石

歴史資料-アナウンスを行う蒋介石

アメリカ軍による襲撃の弾痕

アメリカ軍による襲撃の弾痕

真空管装置芸術ロボット

真空管装置芸術ロボット

当時の放送混線コントロール機

当時の放送混線コントロール機

 台湾南部にある嘉南平原は、台湾で最大規模の美しい平原です。ここには、台湾で唯一の「放送文化園」があり、空高くそびえ立つ放送鉄塔、日本風宿舎、素朴で雄大な建築物は、緑で溢れる水田地域の中で一際目を引きます。中央放送局の民雄支局内にある國家廣播文物館(国家放送文物館)は、昔、民雄放送所があったところです。70数年前にはラジオ放送によって空中戦の統括指揮を行っていました。現在は戦争の軍事機能として使われることはなくなりましたが、遠く海外にまで民雄支局の放送が届いています。

 日本統治時代、日本政府は台湾の人々が南京政府の放送を聴くことを阻止するために、昭和12年末、嘉南平原にある民雄地区に放送局基地を建てることを決め、高周波数放送局である民雄放送所を完成させました。強力な電波は、東南アジアや中国の江蘇省、南京にも届きました。太平洋戦争の時期には、アメリカ軍に向けた心理戦として、日本の女性アナウンサーによるプロパガンダ番組「ゼロ・アワー」が放送され、その神秘的な声はアメリカ兵士たちに「東京ローズ」と呼ばれました。当時、放送所には日本のNEC電気製造会社のMB-15A型中波送信機が配備されていました。これは当時全世界で最も先進的であり、世界にわずか5台しかないうちの1台でした。局の隣にある高さ206メートル(約70階ビルの高さ)のT型アンテナ塔2基も、その雄大で壮大な姿から、当時の民雄地区における特殊なランドマークとなりました。

古い集音マイク

古い集音マイク

大型の真空管冷却システム

大型の真空管冷却システム

 終戦後は、民雄放送所を含むすべての施設は政府に接収され、民間の「中国放送会社」に委託され管理されるようになり、中国大陸に向けて放送が続けられました。この時から、民雄放送所は元々の「日本の為の放送」という歴史的役割から一転、中国大陸向けの放送局になりました。その後、中国向け放送の効果を上げるために、中国とアメリカの協力により、マイクロウェーブ送信システムCW-20が1基建てられ、放送受信ステーションの建設と送信機の改装もされました。何度も改名と改制を重ねた結果、民雄放送所は「中央廣播電台民雄機室(中央放送局民雄送信所)」と改名され、元々の軍事用途としてではなく、国家放送局となりました。改制後の民雄支局は現在は4基の送信機(三基の短波、一基の中波)があり、中継機を通して、台北で作られた番組が中国の中南部や日本、その他の海外へ発信されています。

 民雄放送所は、その濃厚な歴史背景と建築の特色から、1999年に全国で初めての歴史と文物を展示した「放送文物館」へと生まれ変わり、一般に開放されました。ただ放送博物館として利用されているだけでなく、その特殊な建築のため、嘉義歴史建築の名所として、全国歴史建築百景の一つにも選ばれており、とても記念価値の高い放送局です。文物館に展示されている、70年前の放送送信機は、現在でも使用可能な世界的にも希少な送信機なんですよ。また、大型真空管やラジオ等、戦争時代の痕跡が数多く保管されているほか、アメリカ空軍機による襲撃の弾痕なども見られます。便利なガイド解説付きで、録音や放送局の一連の流れを体験することもでき、学びと娯楽が集結した文物館です。機会があれば、放送文物館にぜひ足を運んでみてください。昔おじいさんから聞いた話が懐かしく思い出されるかもしれませんよ。

※入館料50元
(記者:Adia)

地図

【國家廣播文物館】
住所:嘉義縣民雄鄉寮頂村民權路74號
電話:05-2262016
営業時間:火曜~日曜9:00-11:30 13:00-16:00(週末、祝日の見学は事前予約が必要)
定休日:毎週月曜、旧暦の大晦日から正月2日 ※台風警報発令時
交通:高鉄嘉義駅からタクシーで約25分
URL:http://museum.rti.org.tw/

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