基隆から和平島に通じる唯一の橋「和平橋」は、昔は「基隆橋」と呼ばれており、橋の下には漁船が出入する「八尺門漁港」がありました。和平島から海に出る場所の広さが八尺ほどあったため、「八尺門」と呼ばれるようになったようです。そして、八尺門漁港に隣接して造られたのが「八尺門駅」です。
八尺門駅は金瓜石で採れた金鉱や銅鉱を輸送するために建設されました。初期の時代には金瓜石の鉱石は空中ケーブルで基隆へ輸送し、日本に積み出されていましたが、日本統治下の昭和10年(1935年)、このケーブル輸送は廃止され、金瓜石山を下る約4キロの軽便鉄道「金瓜石線」(752ミリ軌道)が建設され、鉱石は基隆の北端まで輸送されるようになりました。次の年には八尺門港の横に鉱石積み出し用の港が完成。線路は八尺門駅まで延長され、全長は12.3キロとなりました。この時から金瓜石の鉱石は軽便鉄道によって八尺門に送られ、そこから船で日本に輸送されるようになったのです。
お年寄りの中には、のろのろと走る「五分仔車」と呼ばれたこの小さな鉄道の事を覚えている人も少なくありません。当時、瑞芳と基隆を往来するには、乗客と荷物でごった返す「五分仔車」に乗るか、渡し舟に乗るか、あるいは徒歩で行くしか方法がなく、貴重な鉱石を運ぶ以外にも、唯一の陸上輸送手段として人々に重宝されていました。当時の八尺門駅は人が行きかう活気のある駅だったのです。
金瓜石線は基隆の経済と交通の発展を促し、なくてはならない存在となりましたが、時は流れ、金瓜石が廃坑となると、人々に愛されたこの鉄道もとうとう廃線となる運命を免れませんでした。しかしその基隆への貢献は偉大で、基隆の歴史だけでなく台湾の鉄道史の中で、今でも重要な位置を占めているのです。 |
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