コーヒーの木

台湾コーヒーってなに?

 台湾コーヒーとは、主に雲林縣古坑郷一帯で栽培される台湾産のコーヒーことです。2003年のコーヒーフェスティバルをきっかけに注目を浴び始めた台湾産のコーヒーは、台湾国内でメイドイン台湾の産品が好まれ始めた近年、更に需要が増え始めました。需要が増える一方、手作り無農薬にこだわった生産のため、生産高は少なく、台湾国内でも目にする機会が少ない大変貴重なコーヒーです。では、台湾コーヒーの歴史を紐解いていきましょう!

台湾コーヒーのはじまり

 台湾コーヒーの歴史は中国「清」の光緒年間(1875~1908)にまでさかのぼります。この時代にイギリスの茶商が中国とインドを行き来する間に台湾に立ち寄り、その風土や気候が中南米に似ている事に気づきコーヒーの木100本を台北縣の近くに植えた事が始まりといわれています。この100本の木は台湾最初のコーヒーの木ですが、残念な事に管理が行き届かず枯れてしまいました。

 そして、台湾でコーヒー栽培が盛んになったのは日本統治時代(1895-1945)。日本人は経済価値の高いコーヒーの栽培を推進し、花蓮、嘉義、雲林等に大量にコーヒーの木を植えました。更にコーヒー豆の加工場を設けて生産したコーヒーを日本に出荷。当時、雲林・古坑の荷苞山はコーヒー山と呼ばれ全盛期を迎えます。栽培面積は300ヘクタールにも及び、「極東最大のコーヒー工場」でした。

台湾コーヒーの衰退と復活

 昭和天皇に献上されたとされ、「御用達コーヒー」としても名高い台湾コーヒーでしたが、茶文化の中に生きる台湾人には当時コーヒーを飲む習慣が浸透しておらず日本への輸出が大部分を占めていました。そのため、戦後の国民政府の時代になると、コーヒーの需要は一気に減り、生産は衰退しました。コーヒー農園は果物などの栽培に切り替わり、コーヒーの木は山に何本かの木が残るのみとなります。

 衰退してしまったコーヒー農園が復活を見せ始めたのは1983年です。しかし、当時はまったく知名度もなく台湾でコーヒーを生産していた事すら、幻となっていました。その後、コーヒー農園のオーナー達が費やした月日は、なんと20年。地道に続けた努力が実り、雲林県政府と古坑町役場の協力の下、2003年にコーヒーフェスティバルが開催され、台湾コーヒーのブームが巻き起こりました。

街の復興にも

 雲林の古坑郷は9・21台湾大地震や台風で大きな被害を受けた場所です。失ってしまった作物や、大量に植えられていた檳榔の木は災害の後、コーヒーの木に植え替えられました。この一帯では「台湾コーヒー」を中心に産業の転換をはかり、復興への足がかりとしたのでした。その後、古坑の華山一帯は、災害をきっかけにたくさんの民宿やカフェが開かれ台湾コーヒーを広める起点となっています。

取材協力:巴登咖啡
この特集は2011年9月に取材しました。その後状況が変わっていることもありますのでご了承ください。


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