華山1914創意文化園區って何?

100年の歴史がある建物群

 華山1914創意園区は、元々は酒造工場でした。1914年に日本の「芳醸社」が清酒を生産するためにこの場所に工場を建てましたが、それは当時、台湾最大の酒造工場の一つとなりました。1922年に、日本政府は「酒専売制度(専売制)」を実施し、政府だけが酒を販売することができるようになったため、華山のこの工場を買収し、米酒や各種酒の製造を始めました。1945年以降は国民政府がこれを引き継ぎ、いろいろなカクテルまでも開発したので、「カクテル工場」の称号を手に入れました。当時はこの台北酒工場の黄金時代とも言えました。
 その後、台北の経済発展により、市の中心にある台北酒工場の経済利益の価値が低下、さらには工場から出る汚水問題が付近の住民にも影響を及ぼしたため、1987年に新北市(旧台北県)の林口工業区に移動しました。こうして華山はこの園区での酒造りの使命を終えたのです。

 その後、廃止となった台北酒工場は約10年もの間放置され、1997年に「金枝演社」劇団が園区内でした演劇をしたところ、不法占拠であると訴えられました。しかしそれが芸術文学界の人々の支持を得て、廃止酒工場の運命は一変。芸術文化空間としてどんどん発展していくことになりました。そして、1999年に台北酒工場は正式に「華山芸文特区」と改名され、芸術文化人に演劇や創作のために提供されるようになりました。
 その後、古い工場の内部空間を活性再利用させるために、芸術演劇者や一般の方々も中に入って使用できるようになりました。園区は1年間封鎖して新たに整備され、アイデア溢れる芸術家を招き寄せ、公園緑地として生まれ変わりました。華山園区は芸術交流・オリジナル商品販売の最適な場所となりました。

  華山園区内では色々な展覧会やイベントが開催されており、教育展・絵画展・音楽演奏からファッション講座も開かれ、イベント内容は盛りだくさんです。これから先、華山1914創意文化園区は、文化を伝承し、色々なアイデアを発展させる使命を受け、古い台北酒工場を世界にアピールしていくことでしょう。

 「華山1914創意文化園區」の華山という名前は、1922年に日本政府が日本統治時代の初代台湾総督「樺山資紀」の名前を取って、この区域と現在の行政院付近を「樺山町」と名付け、その後国民政府の時期に「華山」と改められ、現在に至っています。1914は、園区内の最古の建築物が1914年に建てられたことにより、そしてその後、華山の約100年の歴史がここから展開されたということから、華山1914と名付けられました。

 華山1914創意園区に行くのはとても簡単です。MRT忠孝新生駅1番出口を出て、忠孝東路を西に3分ほど歩けば到着。すぐ近くには台北の秋葉原といわれる光華商圏もあります。

住所 台北市中正區八德路一段1號
電話 02-2358-1914(平日の昼間のみ)
参観時間 24時間立ち入りが可能です
WEBサイト http://web.huashan1914.com/index.php
※最新情報は公式ページでご確認ください。
備考 園内で変身写真などの業務用の撮影を行う場合は、事前に許可が必要です。

最終更新日:2012年4月3日

レポーター:Ellin

 
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