鹽水蜂炮 旅々台北トップへ 熱門特集バックナンバー

お祭りの由来

關聖帝君 清の時代に内陸港として栄えた鹽水地区は「月津港」と呼ばれていました。当時は、八掌渓を通り、台湾海峡へ抜ける商業船が往来し、「一府、二鹿、三艋舺、四月津(一に台南の安平、二に鹿港、三に台北の萬華、四に月津)」と、この月津港を台湾四大港の1つとする学者もいるほど繁栄していました。が、川に土砂が積もり、浅くなってしまったことから内陸港としての機能を失ってしまいます。

 鹽水鎮の蜂炮の起源については諸説ありますが、一説には1885年に始まったと伝えられています。この年の7~8月にかけて、鹽水一帯に伝染病が蔓延し、多くの死者が出ました。民衆たちは、鹽水鎮最大の信仰の地である武廟の神、關聖帝君に救いを求めます。そして旧暦1月15日(元宵節)の夜、關聖帝君を乗せた神輿が担ぎ出され、人々はその後に続き、疫病払いを祈りながら爆竹を放ち、街を回りました。これは明け方まで続けられたと言われています。

 以後、毎年この時期になると、關聖帝君を崇め、厄払いをするようになりました。当初は付近の住民が元宵節の前後3日間に爆竹を鳴らし続けるという内容だったのですが、そのうち村ごとに順に爆竹を鳴らすようになり、今日では蜂炮と呼ばれるロケット爆竹を放つようになっています。

参加してきました!ビデオと写真で紹介しますッ!

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 鳴りやまない爆竹の音で怯んでしまった取材班。屋台の裏で怖々と着替えお祭の場所に向かいます。今から花火が飛びます、という合図はなくいきなり花火が飛んできます。当たると小さな石を投げつけられたようで痛いです。ただ、当たってしまえば開き直れてテンションが上がるもの。花火が当たると縁起が良いそうです。人波をかき分けて花火中心部に近づいて行きます。近づけば近づくほど当たっても痛くないことに気づきました。加速する前なので勢いが弱いみたいです。コツがわかればこっちのもの。ギリギリまで近づくことに成功しました。


観戦に対する注意

 花火に撃たれたいという人は右のような格好が必須となっています。

服装チェック

現地でも売っています

ヘルメット ジャケット

 お祭会場の近くには大きな屋台街ができていて、へルメットやジャケットがたくさん売られていました。どちらも300元ぐらいでした。


現地の様子とお祭のスケジュール

屋台街 お祭は「武廟」から始まります。午後5時頃、爆竹の響きと共に各地域の御輿が入ってきます。「武廟」前の広場に並び、廟の前で簡単な儀式が終わると蜂炮の始まりです。時間は午後6時頃でした。それから断続的に午前0時半頃まで続きました。赤線で塗りつぶした通りを中心にして花火が飛び交います。屋台街で行われることはなく音を楽しみ建物の間から花火を見る場合は上記の装備は必要ありません。

屋台街 屋台街 屋台街


アクセスマップ

アクセス方法

アクセス方法

 台湾鉄道「嘉義駅」から「新營駅」まで約20分。「新營駅」から車で約15分。

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[ 最終更新:2009年2月11日 ]
掲載されているデータは取材時のものとなります。