油が塗られた柱をどのチームが早く登り切るのか。仲間を押し上げ、連なり、ひたすら棚を目指す男達。ある者は柱に紐を結びつけ、またある者は一心不乱に油を落とし後続への道を作ります。爆竹とラッパが鳴り響き、沸き起こる歓声と拍手。観客のボルテージは最高潮。南国「恆春(ヘンチュン)」で行われるシンプルで熱いお祭りの紹介です。


動画で紹介

 会場とルールを知れば大体どのようなことがおこるのかわかってしまうこのお祭り。写真もいいけど動画の登場でしょうとビデオカメラと三脚を担いで行って参りました。ダイジェスト版として編集しています。熱気溢れる夏のお祭りをご覧ください。

  • 形式:FlashVideo
  • 時間:約1分半
  • 容量:13MB

お祭りの歴史

始まりは清の時代

 このお祭りの始まりは清の時代(19世紀)に遡ります。当時の恆春は荒れ果てた土地が多く、開墾が活発に行われていました。作業に従事していたのは主に中国中原地方から来た人々。作業は過酷で中には故郷に戻ることなく亡くなってしまう方もいました。事情を知った恆春の住民は毎年中元の時期になるとお供え物を積み上げ鎮魂と平安を祈るお祭りを始めました。最後にそのお供え物は貧しい人々に配られていたのですが、いつの間にかそれを奪い合う人々が集まるようになり、その習慣が「搶孤(チェンクー)」と呼ばれるようになりました。


お祭りの中止と再開

恆春搶孤慶中元

 「搶孤」は年を経るたびに過激になり争いの原因にもなりました。そして、光緒5年(1879年)、「搶孤」は禁止になってしまいます。しかし、お祭りとにぎやかなこと大好きの台湾の人々はルールを作り競技として復活させます。約10メートルの柱を立てて油を塗り、その先端に棚を作りお供え物を置きました。棚は昔、恆春にあった城に似せていたとか。柱を早く登った人がお供え物を得られるというシンプルなルール。日本統治時代に禁止されたこともありましたが、3年に1度の開催など数々の遍歴を経て現在に受け継がれています。


そして現在

恆春搶孤慶中元

 現在では牛の脂を塗った柱を立てて城の形をした棚を設置し、最初に登り切ったチームが優勝となります。お供え物は紙に書くようにして、観客に撒くようになりました。ちなみに今年(2008年)のイベントでは最初に登ったチームには30万元(約105万円)が贈られたとのことです。


[ 旅々台北.com | 熱門特集バックナンバー | このページのトップへ | 観戦方法とアクセスをチェック! ] 

[ 最終更新:2008年8月26日 ]