
台湾高速鉄道公司
公共事務處 副総経理 江金山さん |
ようこそいらっしゃいました。この台湾高速鉄道の構想は、1970年に「スーパー鉄道」(現在の台湾高速鉄道に相当)建設案構想が政府に提出されてから、日本へ視察団が訪れたことに始まります。1980年には具体的な計画が開始され、1991年には線路や建設規格などを含む高速鉄道計画が決定しました。当初、政府による建設後に鉄路局に経営が引き渡される予定でしたが、時代の波に従い民間事業者の交通建設参加を奨励する条例が定められ、1996年に正式に入札が行われる運びとなりました。
1997年の決定時に2グループが入札しており、1つは中華高速鉄道連盟、もう1つが私達、台湾高速鉄道連盟でした。いずれのグループも中心企業は金融機関が担っており、中華高速鉄道は中華開発によって率いられた土木建築、機電と日本の商社によるグループでした。台湾高速鉄道は、富邦金融グループが関連業者と組み、ヨーロッパの業者とも連盟を結成していました。
最終的に我が社が交渉優先権を得ましので、政府と交渉すると同時にヨーロッパの業者とシステム調達の交渉を開始しましたが、この交渉過程がスムーズに進まず契約を完了できなかったため、三井物産、三菱商事、丸紅、住友商事、東芝、三菱重工、川崎重工からなる日本の業者にも競争を解放することになったのです。結局、日本の業者によって提出された条件がヨーロッパより優れていると判定されましたので、日本側のシステムを採用する決定がなされました。
◆ 日本との提携で今回の計画を進める過程において、何か困難なことはありましたか?
全ての提携において実施面での問題がありました。日本JR東海とJR西日本では、初めて新幹線を輸出するに当たって、いかにして有効的に輸出するかが大きなチャレンジとなりましたし、台湾側にとっては、いかにして我が国のニーズに適合させていくかが、大きな課題となりましたね。双方とも契約から実施までにおいて、実に多くの問題が山積していたと言えます。 |