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村の家の前では、彫が深く、浅黒い肌をした女性たちが、子供をあやしながらのんびりおしゃべりを楽しんでいます。話されている言葉は、明らかに北京語や、台湾語と言った漢民族の言語とは異なり、母音の多い、川の流れのような途切れのない言葉です。もちろん私をはじめ、下界からやってきた訪問者には一言も理解することができません。
刺繍や貝の飾りがついた赤い帽子や、ヘアバンド、花輪をかぶっている人もいて、頭に何かをかぶるのが習慣のよう。男性でもみな、鮮やかな色合いの服を身にまとっていて、石板の家の黒と、洋服の赤や黄色のコントラストはみごとの一言。厳しい身分社会であったがゆえに、貴族主導による芸術の花が開花したとは悲しい話ではありますが、その結果として、この美しいカラー・コーディネートのセンスや、彫刻、ガラス工芸などが誕生したのでしょう。
この外部と隔絶された、それゆえ生き抜くには厳しく、団結が必要であっただろう村を治める頭目とはどのような人なのだろうか・・と思いをめぐらせていると、道の先を歩いていた杜姉さんが、赤い帽子をかぶった一人の老人に大声で挨拶をはじめました。杜姉さんは少々緊張している様子・・なんと、このやさしそうなご老人こそが、村の長、頭目だと言うではありませんか。
それを聞いた取材陣はいっせいにカメラを向け、大撮影大会のスタートです。口々に質問を浴びせるのですが、レンズの包囲に気を抜かれたのか、頭目はむっつりと黙り込んでしまわれました。
その時、私の目に、ふと日本語が映りました。頭目がかぶっていらっしゃる帽子には「丸元・・」と日本の名前が書かれています。そういえば戦前にはこの地にも日本人が数多く住み、警察署や神社まで建てられていたそう。原住民の子供にも日本語教育が行われ、日本語の名前を名乗らされていたと聞いています。
そこで、おそるおそる「あの・・お名前は丸元さんとおっしゃるのですか?」と日本語で話しかけてみると、頭目はしばし沈黙の後「お、あんた日本人かい!」と、ぱっと明るい表情に。そして、昔はここにも日本人がたくさんいたもんだ・・と、私たちも日本兵としてね、戦争に行ったんだよ・・と懐かしむように、笑って語ってくださいました。日本人と話すのはひさしぶりだよ・・とも。
ルカイ族の年配の世代では、子供のころに習った日本語が、現在でも書き文字や、他の原住民との「共通語」として使われているとのこと。しかし、めったに日本人と接する機会がないであろう頭目が、ここまで流暢な日本語を話されるとは驚きそのもの。
日本語会話で盛り上がる頭目と私の周囲には、母国、台湾にいるというのに、言葉が通じない環境に放り出され、呆然とする台湾人の取材陣。二人で何を話しているんだ!俺たちの北京語を頭目に日本語で通訳してくれ!という、不思議なシチュエーションが発生していました。


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