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伊拉迎賓門を越えると、そこはもう霧台村。村に入った私たちが最初に案内されたのが、キリスト教の教会でした。む?なにゆえ原住民村で教会?確かに伝統の石板が使われているけど、どうみても最近の建物だし・・と、たいして興味も示さず取材陣の後ろを歩いていると、列の先頭から驚きの声が。

急いで教会の正面に回ってみると、その理由がわかりました。教会の横に祭られた幼子イエスを抱くマリア象が、ルカイ族の民族衣装を身にまとっているのです。純潔の象徴である百合の花も忘れていません。教会内部に目をやると、ルカイ族の英雄をかたどった木の彫刻が、椅子代わりにずらりと並べられています。
英雄椅子の背中のリュックサックには、聖書が収められている親切設計。村外の人間がめったに訪れないこの教会は、ルカイ族の信者のために作られているはず。そうなると、この椅子はけっして観光客用のサービスで、受け狙いで作ったはずはありません。
厳格さが求められるキリスト教の教会で、このようなお遊び的インテリアが許されるのだろうか・・・と、混乱している頭に、次に飛び込んできたのは、市松模様の百歩蛇と百合の花に囲まれたJESUS、イエス・キリストを指す紋章。そして壁にずらりと並ぶ、動物の頭蓋骨。これで、納得し、実感しました。ルカイ族の人々の、精神的な消化力の強さに。
おそらく戦後、宣教師がこの地で布教を行った際に、ルカイ族の人たちは新しい宗教を受け入れつつも100%帰依することはなかったのでしょう。キリスト教を伝統的なアニミズム、精霊崇拝と同列のものだと噛み砕き、己のものとして消化。誰であろうと神様は、神様。それゆえキリスト像も、祖先霊の象徴である百歩蛇も、血肉に化けたヤギやイノシシの頭蓋骨も、同じ神として同列に祀ってしまったのだと考えられます。

神は唯一の存在であると主張するキリスト教と、万物に魂があり神であるとする精霊崇拝が同居するこの教会では、イエス像もどこか苦笑しているような表情でした。


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