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2008年12月18日

台湾の英雄を祀る祠 延平郡王祠


※台北日和の記事は遡及調査をしていないので、現状と異なることがあります。
延平郡王祠

延平郡王祠

周辺の公園

周辺の公園

鄭成功文物館

鄭成功文物館

延平郡王祠の門

延平郡王祠の門

 台湾をオランダの占領から開放した英雄“鄭成功”。その功績を讃える祠が台南市内にあります。いきなりなのですが、ここからは歴史の授業を思い出しながら進みたいと思います。東インド会社、清朝など懐かしい単語満載でお送りいたします。1624年、オランダの東インド会社が台湾南部を占領します。当時、ヨーロッパで莫大な利益を出していた香辛料の取引が目的でした。香辛料の確保が国力に繋がるという時代。

 ちょうど同じ年、長崎の平戸にて“鄭成功”が誕生します。父は福建省出身の貿易商“鄭芝龍”、母は平戸藩田川氏の娘“まつ”でした。彼は平戸で7歳まで生活したそうです。その後、家族で福建省に戻り父とアモイ周辺で貿易、海賊、海賊退治などを行って生活していました。彼が歴史の表舞台に立つのは1644年。“明”が滅び“清朝”が建国されると明の皇族たちが各地で亡命政権を作り始めます。鄭成功達はその中の一人である“隆武帝”と手を組み清朝への抵抗運動を始めます。この辺りの流れは近松門左衛門が「国性爺合戦」という人形浄瑠璃にまとめ上げて当時の日本で大ヒットしたそうです。

 隆武帝と清朝への総攻撃を行うのですがそれは大失敗に終わり、隆武帝は殺されてしまいます。同時に父とは意見が食い違い離別してしまいます。その後も鄭成功は抵抗を続けるのですが1658年南京で大敗してしまい勢力を立て直すために台湾に向かいます。そこで台湾を占領していたオランダを追放したのです。

周囲を取り囲む社殿 この祠は1662年、彼を慕う人々によって創建され開山王廟と名付けられました。日本統治時代には開山神社と改称されました。第二次世界大戦終了後、社殿は壊されすべて新しい建物に変えられ今日に至ります。中央部にある廟は細部まで凝った技巧が施され、内部に鄭成功の像が鎮座しています。周囲の社には各種の資料や鄭成功を支えた文臣や武将など59人が並んでいます。母が日本人ということで急に親しみが持てた“鄭成功”。台南へお出かけの際はぜひお立ち寄りください。

【延平郡王祠】
住所:台南市中區開山路125號
開放時間:8:30~17:30
交通:台南駅からタクシーで15分