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2008年10月23日

歴史を見つめる城壁 恆春古城


※台北日和の記事は遡及調査をしていないので、現状と異なることがあります。
東門
城壁周辺の公園
城壁の上部

 恆春の街は分厚いレンガの城壁が残っています。こんな平和そうな場所でなぜ?と思うのですが、ガッチリと重厚な壁は明らかに外敵から街を守るのが目的。この城壁ができたのは1875年。意外なことに日本との関係がありました。

 話は1871年(明治4年)まで遡ります。沖縄へ年貢を納めに行っていた宮古島の住民が台風に巻き込まれて台湾南部に漂着しました。台湾先住民族のパイワン族に救助を求めたのですが意志の疎通がうまくいかずほとんどの人が殺されてしまいます。明治政府は清国政府にこの事件に対する賠償を求めたのですが、清国政府は管轄外だと拒否。その後、国際慣習や外交経験に未熟な明治政府といろいろな人の思惑が交わり、日本が台湾に出兵し事件発生地域を制圧するという事態(牡丹社事件)に発展してしまいます。

南門 最終的には、明治政府と清国政府は交渉を行い清国が兵の撤退を条件に日本へ賠償金を支払うということで事態は収まりました。清国はこの事件を受けて台湾南部の守備を固めることを決定。1875年にこの城壁が作られました。

 現在では街の半分を囲む形で城壁が残っています。1世紀以上前に作られた城壁なのですが、今も頑丈なままで当時の危機感を感じるようです。東西南北の門は全て残っており一部の門は車やバイクでの通り抜けが可能。ちなみに恆春搶孤慶中元は東門のすぐそばで行われます。

城壁周辺の公園 恆春古城は台湾の2級古墳として認定され整備が進んでいます。周辺は芝生にに覆われたきれいな公園にもなっていて城壁を眺めながらぼけっとするのもありかと思います。

【恆春古城】
場所:恆春の周辺
※地図は東門の位置になります。