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台北日和

2007年10月5日

日本時代の移民村 台東 龍田村

 戦前には台湾の各地に日本人の移民村がありました。その中のひとつ、台東の龍田村は当時の雰囲気をそのまま残しており、歴史の貴重な証人となっています。

 日本統治時代、台北や高雄が短期間に目覚しい発展を遂げたのに比べ、山が多く土地が少ない東部には手付かずの地が数多く残っていました。そこに目をつけた当時の政府は、花蓮、台東エリアを中心に日本からの移民を送り込むことを計画。大正期より開拓団が続々と東海岸に到着し、移民村を設立しました。村民のほとんどは貧しい農民の出身で、移民費用を捻出するために家財道具の一切を売り払い、着の身着のままの状態で台湾に到着した人も少なくなかったようです。ここ台東の龍田村もそのひとつで、大正4年(1915年)から入植がはじまり、最盛期には2,000名を超える日本人が住んでいたそうです。

 地図で龍田村を見ると、道路が田畑が碁盤の目のように整然と並んでいるのがわかり、ここが計画的に開拓された場所であることが実感できます。台湾の田舎は好き勝手に道路が伸びた迷路のような場所が多いため、道はひたすらまっすぐ、畑もきっちり四角に区切られたこの村にはすがすがしさを感じると同時に、亜熱帯の気候や伝染病に悩まされながら、よりよい未来を夢みて汗を流した先人達の苦労をしのばずにはいられません。しかし終戦後に日本に引き上げる際には、この地で築いた財産はすべて置いていくように強要され、当座の生活費としてのわずかな現金と衣類しか持ち出すことができなかったそう。その悲しみと無念さには想像を絶するものがあったことでしょう。

 大正6年(1917年)に創立された鹿野尋常高等小学校(現在の龍田國小)の一角には、当時の校長宿舎などが現存しています。開拓資料館として一般開放されているそうなのですが、訪問したのが早朝だったため残念ながら確認はできませんでした。校内には樹齢100年を超えるという3本の老木があり、時代の移り変わりを静かに眺めているようでした。


 龍田村では台東製糖の指導によりサトウキビの栽培が盛んだったそうですが、現在はパイナップル、バナナ、釋迦頭、烏龍茶など多角化が進んでいるようです。またハングライダー基地としても名を上げており、近くの鹿野山から飛び立つと龍田村や東海岸が一望できるそうですよ。お手ごろ価格の民宿やレンタサイクルなどもありますので、東部旅行の際には一泊して、100年前にこの地にやってきた日本人に思いをはせるのも一興かもしれませんよ。

【日本時代の移民村 台東 龍田村】
住所:台東県鹿野郷龍田村
交通:台湾鉄道東部幹線「鹿野駅」徒歩20分
HP:http://lungtien.tacocity.com.tw/index.htm


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