
| 住所 | 台北市大同區大龍街275號 |
|---|---|
| アクセス | MRT圓山駅から徒歩約5分 |
| 参観時間 |
火~土 8:30-21:00 日祝祭日 8:30-17:00 |
| 定休日 | 月曜日 |
| 参加料 | 無料 |
| ウェブサイト | http://www.ct.taipei.gov.tw |
儒教の祖として日本でも有名な孔子。中国では著名な学者や政治家、軍人といった尊敬すべき人物を神格化し、廟にお祀りする習慣があります。孔子はその代表的人物で、すでに紀元前200年頃の前漢の時代から、孔子を本尊にした孔子廟が建立されていました。中国や台湾の主要都市には必ずといっていいほど孔子廟があり、学問の神として崇められています。
中国、春秋時代の魯(現在の中国山東省)の思想家である孔子(紀元前551年~479年頃)は、儒教の開祖者として古来より中国で深い尊敬を受けてきました。政治家として周の国政改革を担いましたが、残念ながら成功はせず、諸国を遍歴後、魯に戻って古典の編纂や教育に専念しました。後にその思想を弟子がまとめたのが「論語」で、中国のみならず日本や諸外国でも広く読み続けられているのは周知のところでしょう。
台北の孔子廟の建設が始まったのは、さかのぼること1875年。しかし、現在の思わずため息がでてしまうような豪華な廟が完成するまでには、さまざまな紆余曲折がありました。当時としては異例の費用と人員を費やし、ほぼ10年をかけて孔子廟が完成したのは1884年。祭礼の準備のため中国大陸に人を派遣したりと、廟の経営が本格化しはじめた1894年、日清戦争が勃発しました。
戦争の結果、台湾は日本に割譲され、日本軍が台北を占拠。孔子廟や記念碑、備品のほとんどが破壊され、廟の敷地は日本人学校として利用されました。しかし1920年代から孔子廟復興の動きが市民の間に広がり、中国大陸から寺院建築家を招聘。1939年に現在の孔子廟が完成したのです。
第二次世界大戦後、孔子廟は台北市に寄贈され、台北市政府の管轄下におかれました。そのため毎年旧暦9月28日の孔子誕生日に開催される「孔子節」では、台北市長が祭官長を務めることが慣わしとなっています。各地で開催される「孔子節」ですが、ここ台北孔子廟での規模は台湾一。古代中国の宮廷衣装に身を包んだ人々が、伝統の雅楽と踊りを奉納する様子は、まさに一見の価値あり。このお祭りのためだけに台湾旅行を計画しても惜しくないぐらいですよ。
この壁がある門前エリアは、木陰にベンチが置かれ、公園のような市民の憩いのスペースとなっています。リスが参拝客にエサをねだったりと、とてものんびりしたムード。しかし孔子廟内で勉強をすると合格するというジンクスがあり、受験前は真剣な顔をした学生達でいっぱいになるそうです。
赤い扉が印象的な、石造りの立派な門。これが本殿?と思ってしまうぐらいの、どっしりとした迫力です。石材の大半は、わざわざ中国本土から運ばれてきたそう。こちらで注目したいのが柱に巻きついている対の龍。今にも飛び立ちそうな躍動感を備えています。また、柱の上方には牛を連れた男性や、木陰で話しこんでいる人々が生き生きとした様子で彫られています。
こちらでは中央の入り口横にある、木彫りの窓にご注目。『螭龍圍爐』と呼ばれるこの彫刻の主人公は「螭龍」という龍の子供。子供なのでまた角が生えておらず、イルカのようにも見えます。なめらかなカーブを描くこの木彫窓は、名作として高い評価を得ています。
儀門を通り抜けると、本殿前の広場が目の前に広がります。のんびりとしたムードが漂う門前とは対照的に、ここではぴんと張り詰めた空気が流れています。本殿である大成殿は二重屋根で、周囲に回廊が設けられています。ツバメの尾に例えられる反り返ったオレンジ色の屋根に、赤と青の彫刻がアクセントとなっています。日本人の目から見ると過剰とも受け取りかねない、台湾のお寺で見受けられる派手さはここにはありません。やはり祀られているのが、学問の神様であることと関係があるのでしょうか。ただ感じるのは荘厳さのみです。
孔子廟には神像は安置されておらず、本殿中央に孔子の位牌、その周囲に四大弟子(孟子、顔士、曽士、子思士)や12哲人などの位牌が祀られています。孔子の位牌の上には「有教無類(人間の種類による違いは無い。教育の違いだけである)」という論語からの言葉を金文字で書いた額が掲げられています。この額は蒋介石元総統の筆によるそうですよ。また、本殿内には龍が巻きついた筒状の小さな塔が置かれていますが、これは始皇帝の時代に儒学者が迫害され、本を燃やすよう、焚書の命令が下された折に、本を竹の筒に隠したことが由来だそうです。