第2回 
 「おい!まだ寝ているのか!」
 大きな声に薄っすらと目を開けると、すぐ前には睨みつけるような男性の顔。あぁ、黄さんだ。夕べ飲み過ぎたのか、まだ頭がぼんやりしています。動きの鈍い頭の中で、何とか状況を把握しようとしていると、いきなり黄さんは私の腕を掴み、容赦なく布団から引きずり出してしまいました。コロコロと転がる私。いくら何でもこんな強引な起こし方があるものか、文句の一つでも言ってやろうと起き上がった私の前には、何と、たくさんの人の私を見つめる目。昨日の夜、二人で飲み明かした部屋には、家族連れらしい人たちがおり、微笑んでいるとも困惑しているともつかない表情で私を見つめているのです。

 「早くしないと渓流下りに遅れるぞ!」
 「渓流下り?」

 私は黄さんの言葉でやっと状況が把握できました。今日は渓流下りを申し込んでおいたのです。そして目の前の家族は、一緒に渓流下りに行く人たちで、私の支度が出来るのを待っている・・・。こ、これは大変です。私は挨拶もそこそこに大急ぎで身支度を整えると、何とか皆と同じバスに飛び乗ることが出来ました。

 和気あいあいとしたバスの中、どうやら1人で参加しているのは私だけのようで、何だか気まずい雰囲気。しかし、それを察した黄さんが私を他のお客さんに紹介してくれると、お互いに一気に打ち解けあうことができ、それからは話もはずみました。彼らはやはり家族連れで、子供達の休みを利用して、汽車を使った台湾一周の旅をしているのだとか。「後山歳月山荘」は去年来た際、瑞穗の美しい景色と、人の手が加わっていない自然、そしてシンプルで落ち着いた雰囲気の虜になってしまい、今年もそののんびりムードを味わいに再訪したのだそうです。とても温かな家族で、何だかちょっぴりうらやましくさえ感じました。

 山道を走る9人乗りの小型バスは、カタンゴトンとかなり揺れます。これは二日酔いの身にはかなり厳しい!窓の外を流れていく美しい景色を眺める余裕もなく、胃の中のものが逆流しないよう、じっと下を向いて耐えるしかありません。しかし・・・まずい・・・・・出そうです。

 さすがにこれは恥を忍んで車を止めてもらおうと思った瞬間、バスは目的地に到着。幸いにも悲劇は免れました。ちなみに、台湾ではそんな悲劇を「雌牛の反すう劇」と呼びます。牛が食べたものを胃から口に戻す様子に例えているんだけど・・・とにかく今は、大地を踏みしめることが出来る幸せを感じるばかりです。

 しかしバスを降りると、そんな些細な幸せに浸る間もなく、物売りの人たちが一気に押し寄せてきました。渓流下り用のスニーカーや、メガネ用のストラップ、日焼け止めなど、確かに渓流下りには欠かせない品々ばかりではありますが、別にこんなところで買わなくても・・・。などと考えている自分は、何とサンダル履きだったことを発見。通りで物売りの人たちの攻撃が激しかったはずです。しかし、ポケットにあるのはたったの100元。これを使ってしまうと、ご飯代さえ無くなってしまいます。

 「ふっ・・・・男はワイルドに裸足だぜ!」と自分で自分を騙しつつ、安全よりも食欲をとった私でしたが、この決断が後ほど悲劇を呼ぶとは、さすがの私も知るよしが無かったのです。

 渓流下りのスタート地点では、原住民が作った巨大なトーテムポールが、私達を待ち構えていました。どこか山奥にでも紛れ込んだような、冒険気分が高まってきます。簡単な乗船手続きに続いて、渓流下りに関する安全説明ビデオを鑑賞。次にコーチが参加者一人一人にライフジャケットの使い方を説明してくれて、やっと出発です。

 台風の影響で川の水はコーヒーのように濁り、水量もいつもの数倍はありそうで、激しい流れを見せ付けているかのようです。さっきまでにこやかに笑っていたコーチも、この濁流を見た瞬間に顔がひきしまり、ライフジャケットを着始めました。はっきり言って、怖いです。他の参加者のざわめきからも、明らかに怖がっているのが感じられます。

 しかし、ピー!と言う笛が鳴った瞬間に、皆が一斉に走り出すのです。私も先ほどの恐怖はどこへやら、勢いよくボートに飛び乗ると、100以上のボートが川筋を埋め尽くしており、みんな少しでも早く先に進めようと一生懸命。ハリウッド映画の主人公にでもなった気分で、私も必死でオールを振り回します。

 けれど、そんな勇壮なバトルの時間はほんの一瞬でした。急流に突っ込んだボートは次々にひっくり返り、水に落ちた人たちの悲鳴と、岩に当たって砕け散る濁流の轟音と水しぶきであたりはまるで地獄絵のよう。ライフジャケットを着ていなかったら、生きて帰れないかも・・・。背中を冷や汗が流れてきます。

 ボートのメンバーは、女性と子供のみで私以外に男性はおらず、私にはこのボートの船長として、全乗組員の安全を守る義務がありますが、正直なところ自信がありません。やはり怖いものは怖いのです。しかし、皆も私に全てを任せていますし、私がこの船の運命を握っているのです。ここは男として船長として、立派な働きをしなければなりません。

 「全員注意!進行方向左前方に急流発見。進路を右へ・・・」などと、必死で声を張り上げてみても、所詮は初心者集団。ボートは幾度となく急流に突っ込み、ほどなく水浸しに。川の中なのか、船の上なのか、わからなくなるようなたっぷりの水の中で、右に左に振り回される私達は、まさに珍珠[女乃]茶(タピオカミルクティー)の中のタピオカのよう。

 全員でボートの水の汲み出しに集中していると、当然進路の確認はおろそかに。気が付くと急流はもう目の前。あっと思った時には、すでにボートは大波の中に飲み込まれていました。しかし大丈夫。船長が優秀だから、転覆することなく大波を切り抜けることが出来たのです。ははは、私にまかせておけば、万事OKですよ!と隣の女の子に話しかけようとしたら・・・いません。

 大変。さっきの大波でボートから落ちてしまったようです。皆で急いで周囲を探しましたが、幸いにも、すでにセーフガードに助けられており、ホット一安心。しかし、これで私の船長としての信頼は急降下です。何としてもこの汚名を挽回せねばと、もう一度気合を入れなおします。

 「全員注意!進行方向前方に巨大渦巻き!オール停止、縄を引き締め、45度の腹ばいで待機せよ!」
 ここが腕の見せ所とばかりに叫ぶ私。

 渦巻きに突っ込んだボートは嵐にあった木の葉のように上下左右に飛び跳ねます。それでもなんとか渦巻きを乗り越え、ひと安心。ところが、私達が突っ込んでしまったのは通称「鬼見愁」渦巻きという、鬼が見ても怖がると言われる二つの渦巻きが組み合わさった巨大な渦で、1つ目通過で安心してしまい、2つ目の渦に見事はまってしまったのです。

 大波にもてあそばれるボートの上で、私達は恐怖にただ凍りつくのみ。みんな何かに掴まろうとしますが、揺れるボートの上ではそれもむなしく、ただ天命を待つだけ。強い波の力に押され、ボートはグルグル回転しながら、どんどん岩場に近づいていきます。ライフセーバーが乗るボートも、急流にはばまれて手を出せません。

 そのうち、ボートは岩と岩の間に挟まり、前にも後ろにも進めなくなってしまいました。水が勢い良くボートに流れ込んできます。このままではいけないと、船長である私は身の危険など考えもせず水中に飛び込み、ボートを岩場から引きずり出そうとしました。私の足は鋭い岩の角で傷だらけになっていますが、そんなことを気にしていられる状態ではありません。ボートを助け出す以前に、私が巻き込まれるかも・・・そう思った頃、なんとかボートを岩の間から抜き出すことに成功しました。しかし・・・。

 気がついたら、私はひっくり返ったボートを元に戻そうと、水中で必死に格闘していました。抜け出した勢いで、ボートは一気に転覆してしまったのです。船長としての責務を果たしたはずの結果がこれとは・・・何と情けない。この頬をぬらすのは、川の水なのか、それとも・・・。

 それでもやっとの思いで全員岸にたどり着き、ボートを元通りにしてまた出発です。先ほどの修羅場を潜り抜けた私達は、一味違う!生まれ変わった私達はオールさばきも軽やかに、水面を白鳥が滑るように進みます。

 そして気がつくと、私達のボートは船団の最前列まで抜け出していました。ボートがひっくり返った時には最下位だったというのに、この快挙!これぞ、名船長のおかげと言わずに何と言おうか。

 下流に近づくにつれ川幅も次第に広がり、流れも緩やかになってきました。やっと余裕がでてきたのか、みんな、隣のボートと水をかけ合ったりの大騒ぎ。調子に乗りすぎて、水に落ちる人もいたりして、笑い声が渓谷に響き渡ります。ボートの上は一緒に危機を乗り越えた人たちしか持てない強い連帯感が生まれ、男女や年齢の壁を飛び越えた、和気あいあいとした雰囲気に満ちあふれています。

 「長虹橋」が見えてくると、このボートの旅もおしまいです。岸に上がった人たちには、疲れた様子で倒れ込む人もいますが、それでもみんな笑顔。楽しかったという、満足でいっぱいの表情をしています。もちろん、この渓流下りを体験してみないことには、みんなどうしてそんなにいい顔で笑っているのか、わからないと思いますけどね。

 そういえば私の二日酔いもどこへやら、ずぶぬれだけど爽やかな気分の私がそこにいました。

ミニ情報:
●渓流下りの料金は1人750元
●ホエール・ウォッチングなどとのパッケージもあります。費用は内容によって異なりますが、750元〜1500元程度。
●渓流下りの際には、スニーカーと長袖の服が必須です。


[バックナンバー]
第1回 花蓮「後山歳月山荘」


つづく